
現代人にとって、スマートフォンは身体の一部と言っても過言ではない。
眠る直前まで画面を眺め、情報の海を泳ぎ、遠くにいる友人とメッセージを交わす。
暗闇の中で発光するディスプレイの光だけが、自分と世界を繋ぐ唯一のライフラインのように感じられることもあるだろう。
しかし、その最も身近で安心できるはずのデジタル機器が、ある日突然、見知らぬ恐怖の窓口へと変貌したらどうだろうか。
これは、深夜のベッドルームで一人の女が体験した、デジタル社会の裏側に潜むおぞましい怪談である。
1. 切り忘れたはずの通話
その日、女は長年の友人であるAと、通話アプリを介して他愛のない雑談をしていた。
仕事の愚痴や最近の趣味について語り合い、時計の針が深夜の1時を回る頃、Aがそろそろ寝るわ、おやすみと言い、通話はそこで終了したはずだった。
男も、おやすみと返し、画面上で赤い通話終了ボタンをタップした……
つもりだった。
ベッドに横たわり、そのままうとうとと微睡みの世界へと落ちていく。
深夜特有の心地よい倦怠感に包まれながら、男は浅い眠りに入り込んでいった。
どれくらいの時間が経っただろうか。
意識が浮上するきっかけとなったのは、耳元で微かに聞こえる異音だった。
――ザァー……、ザー……、コツ、コツ……。
イヤホンから、規則的なノイズが聞こえてくる。
まるで、古いラジオの周波数がずれたような砂嵐の音と、何かを硬いもので叩くような乾いた音が混ざり合っている。
あれ……? 切れてなかったのか?
女は寝ぼけ眼でスマートフォンを手探りで掴み、画面を点灯させた。
睡眠アプリや音楽プレイヤーが勝手に起動したのかと思ったのだ。
しかし、画面に表示されていたのは、そんな生易しいものではなかった。

2. 画面に現れた「3人目のアイコン」
点灯したスマホの画面には、先ほどまで話していた友人Aとの通話画面がそのまま維持されていた。
おい、まだつながってるよ、と声をかけようとして、女の動きがピタリと凍りついた。
通話アプリのルーム画面には、自分とAのアイコンのほかに、見知らぬ3人目の参加者が表示されていたのだ。
心臓がドクリと大きな音を立てて跳ね上がった。
3人目のアイコンには、プロフィール写真も名前も設定されていない。
あるのは、真っ黒なシルエットのデフォルト画像と、無機質な空欄だけだった。
……なんだこれ? バグか?
手が冷や汗でじっとりと濡れていく。
Aはすでに寝ているはずだ。
そもそも、この通話ルームにどうやって第三者が入ってきたのか。
パスワードや合言葉があるわけではないが、外部から見知らぬアカウントが勝手に既存の通話に割り込んでくるような仕様など聞いたことがない。
混乱する男の耳元で、イヤホンから聞こえてくるノイズがピタリと止まった。
代わって聞こえてきたのは、おぞましい音だった。
…………ぁ……、……みつけ……た……
それは、機械的な電子音声でも、生身の人間の声でもなかった。
複数の異なる声――男の声、女の声、子供の声が、まるで一つのスピーカーから無理やり同時に再生されているかのように、ぐにゃぐにゃと歪みながら重なり合っている。
低く、湿った、這いずるような声。
……おまえの……うしろ、に……いる……
3. 背筋を凍らせる「録音」の警告
ふざけんな……っ!
パニックに襲われた男は、震える親指で画面の赤いボタンを連打した。
通話を切れ、今すぐこの画面を閉じろ、と脳内の本能が狂ったように警報を鳴らす。
しかし、異常なことに、スマホの画面はフリーズしたかのように一切の反応を示さない。
何度「切断」をタップしても、通話中の表示が消えず、あの不気味な重なり合った声だけがイヤホンのスピーカーを通じてダイレクトに脳髄を揺さぶる。
……こっちを……むいて……
部屋の空気が一気に凍りついたように冷たくなった。
背後。布団を被った自分の、すぐ後ろの暗闇から、冷たい息が首筋に吹きかけられたような気がした。
振り返りたい。
しかし、恐怖で首の筋肉がこわばり、わずかに視線を動かすことすらできない。
背後に何かがいる。
間違いなく、あのスマホの向こう側にいた何かが、自分の部屋のベッドのふちに立っている。
その瞬間、手の中のスマートフォンが激しくブーッ、ブーッと振動した。
画面が強制的に切り替わり、見慣れないポップアップウィンドウがポップアップ表示された。
そこには、赤文字でこう書かれていた。
この通話は、セキュリティ保護のため録音されています

録音? 誰が?
システムが自動で行ったわけではない。
画面には、その見知らぬ3人目のシルエットアイコンの横に、小さな赤色の録音インジケータが点灯し、現在進行形で自分の恐怖に満ちた息遣いや、震える声が記録されていることを示していた。
彼らは、自分の恐怖する声を録音している。
おもちゃにするために。コレクションするために。
限界を迎えた女は、絶叫を押し殺しながらスマホをベッドから放り投げ、そのまま頭から布団を被って丸まった。
耳元で、スマホのスピーカーからカチッという小さな機械音が聞こえたのは、それからすぐのことだった。
通話が強制終了された音だった。

4. 明けた朝に残されたもの
それから朝が来るまで、女は一睡もできなかった。
布団のなかで身を固くし、朝日の光がカーテンの隙間から差し込むのをただ待ち続けた。
あたりがすっかり明るくなり、恐る恐る布団から這い出た女は、部屋の床に転がっていたスマホを拾い上げた。
電源を入れ直して通話アプリの履歴を確認したが、昨夜の履歴は跡形もなく消え去っていた。
友人Aに確認の連絡を入れてみたが、え? 夜中の1時すぎにすぐ寝たけど、何の話?
と、寝ぼけたような返事が返ってきただけだった。
すべては、深夜の疲労が見せた悪夢だったのだろうか。
そう自分に言い聞かせようとした。
しかし、スマホのファイルマネージャーを開いたとき、男の血の気は完全に引いた。
ボイスレコーダーの保存フォルダの中に、身覚えのない音声データが一つだけ残っていたのだ。
ファイルの作成日時は、まさに昨夜、あの恐怖の真っ只中だった。
震える指で、再生ボタンを押す勇気は、女にはなかった。
今でもそのファイルは削除できぬまま、スマホの奥底に眠っている。
そして夜になるたび、イヤホンをつけるのが怖くて仕方のない日々を送っている。
筆者のひとりごと
現代の通信技術やスマートフォンは、私たちの生活を便利にし、距離の壁を軽々と超えてつながりを与えてくれます。
しかし、それは同時に自分と外部の境界線を曖昧にする危険とも隣り合わせです。
セキュリティホール、未知のバグ、あるいはハッキング。
科学的な視点に立てば、不正アクセスや音声パケットの混信、あるいはアプリの誤作動といった理屈で説明を試みることもできるでしょう。
しかし、どれほど高度な技術的解説を並べたところで、自分の部屋の暗闇で、誰とも知らない存在と、つながってしまったという事実の恐怖が薄れるわけではありません。
夜、部屋の電気を消して、ベッドの中でスマホをいじるとき。
画面の向こう側で、あなたにしか聞こえないチャンネルを開いて、じっとこちらを覗いている誰かがいるかもしれません。
その時、あなたのスマホの画面に映る3人目のアイコンは、果たして本当に無機質なシルエットだけでしょうか。


