
人の命は、一本のローソクのようなものだ。
そんな言葉を耳にしたことはないでしょうか。
古くから伝わる寓話や落語の演目にも登場するこの比喩は、現代を生きる私たちの心にも、どこか切なく、そして鋭く響きます。
私たちは皆、この世に生を受けた瞬間に、自分だけの命のローソクに火を灯されます。
しかし、そのローソクの長さや太さは、誰一人として同じではありません。
誰にも知らされていない「長さ」という宿命
このローソクの最も残酷で、かつ尊い点は、自分のローソクが残りどれくらいなのかを誰も知ることができないということです。
ある人は、天を突くほどに長いローソクを持って生まれてきます。
またある人は、驚くほど短く、儚いローソクを手にしています。
それは個人の努力や善行で決まるものではなく、ある種の宿命として与えられたものです。
もし、自分のローソクが残り数センチだと分かっていたら、人は今日という日をどう過ごすでしょうか。
あるいは、まだ何メートルも残っていると確信していたら、今の努力を続けるでしょうか。
先が見えないからこそ、私たちは不安を感じ、同時に希望を持つことができるのです。
「長さ」よりも大切な「炎の輝き」
命の価値は、単にローソクの長さ(寿命)だけで決まるものではありません。
本当に重要なのは、その先端で揺らめく炎の質ではないでしょうか。
長く細く、消え入りそうな光で淡々と燃え続ける人生もあれば、短くとも周囲を真昼のように照らし出し、激しく火花を散らして燃え尽きる人生もあります。
- 周囲を照らす光 自分のためだけでなく、誰かの心を温め、進むべき道を照らすような生き方。
- 熱を伝える光 情熱を持って何かに打ち込み、他者の魂に火をつけるような生き方。
たとえローソクが短かったとしても、その炎が強烈な光を放っていたならば、その人の存在は闇を切り裂き、多くの人の記憶に刻まれ続けます。
物理的な時間は短くとも、その命は密度において永遠を手にするのです。

風に抗うか、風を受け入れるか
人生には、時に激しい嵐が吹き荒れます。
病、事故、絶望―。
そうした外風は、容赦なく私たちの命のローソクを吹き消そうとします。
私たちは必死に手をかざし、その火を守ろうとします。
しかし、あまりに火を囲い込みすぎると、酸素が足りなくなり、炎は弱まってしまいます。
逆に、風を恐れすぎて暗闇の中に閉じこもっていては、せっかくの灯火も誰の目にも触れません。
大切なのは、いつか消えることを恐れるのではなく、燃えている間、何を見つめるかに意識を向けることではないでしょうか。
溶けてゆくロウは「生きた証」
ローソクが燃えれば、当然ロウは溶け出し、形を変えていきます。
この溶けたロウは、私たちが費やした時間そのものです。
若かった頃の真っ直ぐな形は失われ、デコボコと不格好な塊になっていくかもしれません。
しかし、その歪な形こそが、あなたが苦しみ、喜び、懸命に呼吸をしてきた証です。
何もせずに冷え切ったままの綺麗なローソクよりも、使い古されて形を失ったローソクの方が、はるかに美しいと私は思うのです。
今、あなたの手元にある光
今、この文章を読んでいるあなたの手元では、確実に命のローソクが燃えています。
それは今日、数ミリ短くなったかもしれません。
しかしその分、あなたは誰かに言葉を届け、誰かの笑顔を見、あるいは自分自身の心と向き合ったはずです。
長さは変えられません。
でも、その炎をどれだけ美しく、力強く輝かせるかは、今のあなたの心持ち一つで決まります。
自分のローソクを愛おしみ、残されたロウが最高の輝きを放つよう、今日という時間を丁寧に灯していきましょう。

筆者のひとりごと
命のローソクというテーマを考えると、最近亡くなられてニュース等で話題となった中山美穂さんのことを思い出します。
中山さんのローソクは、私たちから見れば少し短すぎたと思いますが、その燃え方は実に見事なものでした。
晩年、ファンに愛され最後まで芸能活動を積極的に続けておられた矢先の出来事でしたので非常にショックでした。
それはまさに、最後の力を振り絞って前日まで周囲を照らそうとする、成熟した炎の輝きそのものだったのでないでしょうか。
私たちもいつか、自分の火が消える瞬間が訪れます。
その時に、ああ、良い光を放てたなと自分自身で納得できるような、そんな燃やし方をしていきたいものです。
誰かと比べる必要はありません。
あなただけの芯に、あなただけの火を。

