【矢野・兵動】兵動大樹が語るテレビ局の怪談!第3スタジオの賛美歌と室戸台風の悲劇

お笑いコンビ「矢野・兵動」の兵動大樹さんといえば、圧倒的なトーク力で『人志松本のすべらない話』をはじめ、数々の番組を爆笑に包んできたお笑い界のトップランナーです。

しかし、そんな兵動さんがバラエティ番組や怪談特番などで披露し、震えるほど怖い、切なすぎるとネット上でも語り継がれている、一編の有名な実話怪談をご存知でしょうか。

それは、兵動さんが高校生の頃に経験した、あるテレビ局の第3スタジオにまつわる身の毛もよだつ恐怖の体験談。

そしてそのスタジオの地下には、昭和の歴史に刻まれた、ある悲しい大災害の記憶が隠されていました。

芸人になる前、大道具のバイトで訪れた深夜の「第3スタジオ」

兵動大樹さんがまだ高校生だった頃、大阪にあった関西テレビ(カンテレ)の旧社屋(西天満社屋)で、テレビ番組のセットを組み立てる大道具のアルバイトをしていた時期がありました。

仕事内容は立て込みと呼ばれる、誰もいない夜中のスタジオに翌日の収録用セットを組み立てていく重労働。

ある日の深夜、まだアルバイトに入りたてで仕事の流れがよく分かっていなかった高校生の兵動さんは、先輩からある指示を受けます。

お前はまだ慣れてへんから、あっちのスタジオで窓枠の色を塗っといてくれ

指示された場所は、普段作業をしていた賑やかな第2スタジオから少し離れた場所にある、静まり返った第3スタジオでした。

兵動さんは言われた通りにペンキと刷毛を持ち、一人で暗い第3スタジオへと向かいました。

暗闇のスタジオに響く「女の歌声」

しんと静まり返った深夜の第3スタジオで、兵動さんは黙々と窓枠に色を塗っていました。

しばらく作業を続けていると、どこからか女性が歌っている声が微かに聞こえてきたのです。

当時の兵動さんはまだアルバイトを始めたばかりの素人。

こんな夜中なのに、誰かが歌の練習でもしているのかな?

もしかしたら有名な芸能人かも知れない、一目見られたらラッキーだなという軽い気持ちで、声のする方を視線で探ってみました。

しかし、スタジオの広い空間を見渡しても、人影はどこにもありません。

機材の影にも、通路の奥にも、誰もいないのです。

真横まで迫ってくる恐怖のメロディ

おかしいなと思っていると、その歌声はだんだんと大きくなってきました。

気のせいではなく、明らかにその声は空間を移動して、兵動さんに向かって近づいてきているのです。

メロディははっきりと聞き取れませんが、どこか哀調を帯びた、背筋が凍るような歌声。

そして気がついたときには、まるで自分の真横、耳元近くで誰かが口元を寄せて歌っているかのような近さになっていました。

あまりの恐怖に、仕事のことなど完全にどうでもよくなった兵動さんは、刷毛を放り出すようにして、ライトの点いた明るい第2スタジオへと全力で走って逃げ帰ったのです。

2度目の悪夢と、耳元を埋め尽くした「賛美歌」

息を切らせて戻ってきた兵動さんを見て、先輩の大道具さんが怪訝な顔をして怒鳴りました。

おい、もう仕事は終わったんか?

塗り終えたやつを早く取ってこい!

怒られるのが怖かった兵動さんは、幽霊が出たとは言い出せず、恐怖で震える足を無理やり動かして、再びあの第3スタジオへ戻る羽目になってしまいました。

早く持って帰れば大丈夫、さっきのは気のせいだ、自分にそう言い聞かせながら、恐る恐るスタジオの扉を開けました。

しかし、スタジオに入り、急いで窓枠を手に取ろうとしたその瞬間、先ほどとは比べ物にならないほどの異様な空気がスタジオを満たしたのです。

今度は、一人の声ではありませんでした。

複数の女性たちの声。

それはまるで、厳かな教会の中で大勢の合唱団が声を揃えて歌っている「賛美歌」のように聞こえました。

その幾重にも重なった、この世のものとは思えない美しい歌声が、一瞬にして兵動さんの耳元近くまで一気に迫ってきました。

頭の中を書き乱されるような、圧倒的な音の塊にパニックになった兵動さんは、窓枠をひっつかみ、後ろを振り返ることもなく命からがらその場から逃げ出しました。

年上の先輩が語った「第3スタジオ」の忌まわしい過去

後日、テレビ局の事情に詳しい、年の離れたベテランの先輩お兄さんに、あの夜第3スタジオで体験した不可解な出来事を思い切って打ち明けてみました。

すると、先輩は驚く風でもなく、真剣な表情でこう頷いたのです。

やっぱりお前も聞いたか。

あの第3スタジオはな、そういう現象が起こることでめちゃくちゃ有名な場所なんや

実は、その先輩自身も過去に第3スタジオで恐ろしい体験をしていました。

先輩が夜中に第3スタジオに入ったとき、突風も吹いていないのに背後のドアがバタン!

と激しい音を立てて勝手に閉まり、鍵がかかってしまったそうです。

閉じ込められた先輩がパニックになりかけていると、今度は照明が落ちているはずの天井のあたりが、うっすらと白く明るく発光し始めました。

何事かと先輩が天井を見上げると、そこには信じられない光景が広がっていました。

顔を苦しそうに歪めた7人の女の人が、宙に浮かぶようにして、何かを必死に歌っていたというのです。

昭和9年・室戸台風の悲劇と7人の女学生

なんでそんな幽霊が出るんですか……?

と尋ねる兵動さんに、先輩は関西テレビ旧社屋が建っているこの土地の歴史を教えてくれました。

今でこそ立派なテレビ局が立っていますが、戦前、この場所には木造の女学校(旧制大阪市立扇町高等女学校)があったのだそうです。

そして昭和9年(1934年)9月21日、日本を襲った観測史上屈指の大災害「室戸台風」がこの地を直撃しました。

最大風速が秒速60メートルを超えると言われた超大型台風の猛烈な暴風雨に耐えきれず、女学校の木造校舎は無残にも大きな音を立てて崩壊してしまったのです。

瓦礫の下から響いたSOSの歌声

崩れ落ちた建物の瓦礫の下には、逃げ遅れた7人の女学生が生き埋めになって倒れていました。

暗闇の中、重い梁や瓦礫に挟まれ、身動きが取れなくなった彼女たち。

外では凄まじい嵐の音が吹き荒れ、自分たちの助けて!

という叫び声はかき消されてしまいます。

そこで彼女たちは、自分たちの存在を外部に知らせ、お互いを励まし合い、救助を求めるために、学校で習っていた「賛美歌」を全員で声を合わせて歌いながら、助けを待ち続けたのだそうです。

嵐の中で響かせた、決死の賛美歌。

しかし、その必死の歌声も激しい風と雨の音に遮られ、誰の耳に届くこともありませんでした。

結局、その7人の女学生たちは、瓦礫の下で賛美歌を歌いながら、静かに息を引き取っていったのです。

怨念ではなく、今も助けを求めている

兵動さんや先輩が耳にしたあの歌声は、間違いなく昭和9年に亡くなった女学生たちのものだったのでしょう。

関西テレビの第3スタジオという空間は、かつて彼女たちが命を落としたまさにその場所。

時を越えて、当時の記憶が空間に焼き付いているのか、あるいは彼女たちの魂が今もそこにとどまっているのかもしれません。

彼女たちは、決して生きている人間を呪おうとしたり、危害を加えようとしているのではないのだと思います。

あの激しい台風の夜からずっと、暗闇の中で誰かに見つけてほしい、助けてほしいと、今でも賛美歌を歌いながら救助を待ち続けているのではないでしょうか。

もしあなたが、夜の建物や静かな空間でふと美しい賛美歌を耳にしたら……

それは、かつての悲しい記憶が呼びかける、時を越えたSOSのサインかもしれません。

筆者のひとりごと

兵動大樹さんといえば、どんな話でも笑いに変えてしまう、お笑い界のファンタジスタですが、そんな兵動さんが真面目に語るこの怪談話は、本当に何度聞いても鳥肌が立ちますし、同時に胸が締め付けられるような切なさがあります。

テレビ局やスタジオの心霊スポットというと、なんだかおどろおどろしいお化け屋敷のようなイメージを持ってしまいがちですが、その背景にある歴史を紐解くと、室戸台風という未曾有の災害の悲劇が隠されていました。

高校生だった当時の兵動さんは恐怖で逃げ出すことしかできなかったと言いますが、当時の歴史を知ると、彼女たちはただ寂しくて、自分たちの存在に気づいてほしかっただけなのかもしれませんね。

華やかな映像を届けるテレビ局の裏側には、私たちが忘れてはならない、その土地が持つ固有の記憶が眠っているのだと、改めて強く感じさせられるエピソードでした。

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