
2010年6月13日。
オーストラリアのウーメラ砂漠の夜空に、一筋のあまりにも眩しい光が走りました。
それは、満身創痍の小惑星探査機「はやぶさ」が、7年という歳月、60億キロという果てしない旅路の果てに、最期の力を振り絞って放った命の輝きでした。
これは、単なる科学探査の記録ではありません。
幾度となく絶望という壁にぶつかりながらも、決して諦めなかった人間たちの執念と、それに応えようとした小さな探査機の、魂の交流を描いた物語です。
旅立ちと、忍び寄る暗雲
2003年5月、はやぶさは鹿児島県・内之浦宇宙空間観測所から力強く打ち上げられました。
目的地は、地球から遠く離れた小惑星イトカワ。
その使命は、小惑星のサンプルを持ち帰る(サンプルリターン)という、世界初の壮大な挑戦でした。
しかし、宇宙の女神ははやぶさに過酷な試練を与えます。
打ち上げ直後から、はやぶさを支えるはずのリアクションホイール(姿勢制御装置)が次々と故障。
さらに、イトカワへの着陸時には、サンプル採取のための弾丸が発射されないという予期せぬトラブルに見舞われます。
それでも、はやぶさは岩だらけのイトカワの表面にそっと降り立ち、目に見えないほどの微細な砂をその身に宿しました。
しかし、喜びも束の間、本当の試練はそこから始まったのです。

絶望の淵での「音信不通」
イトカワを離脱した直後、はやぶさを最大の悲劇が襲います。
燃料漏れによる急激な姿勢の変化。そして、2005年12月、はやぶさからの通信が完全に途絶えました。
広い宇宙のどこかで、はやぶさは一人ぼっちになりました。
酸素も、音も、光も届かない漆黒の闇の中で、傷ついた体を引きずりながら彷徨う小さな機体。
地球の管制チームは、かすかな信号を求めて、来る日も来る日もアンテナを空に向け続けました。
もう戻ってこないのではないか
そんな絶望的な空気が漂う中、プロジェクトマネージャーの川口淳一郎教授をはじめとするチームは諦めませんでした。
はやぶさは、必ず生きている。
その信念だけが、彼らを繋ぎ止めていました。
通信途絶から1ヶ月半。
奇跡は起きました。
はやぶさから、か細いビーコン信号が届いたのです。
それは、まるではやぶさが僕はここにいるよと声を振り絞っているかのようでした。

満身創痍の帰還:つぎはぎの翼
ようやく帰還の途についたはやぶさでしたが、その体はもはや限界を超えていました。
4基あるエンジンのうち、正常に動くものは一つもありません。
しかし、技術者たちは驚くべき執念を見せます。
故障したエンジンの生き残っている部品同士を回路で繋ぎ合わせ、1基のエンジンとして機能させるニコイチという奇策を講じたのです。
それはまさに、切れた神経を無理やり繋ぎ合わせるような、命がけの延命措置でした。
はやぶさは、ボロボロになりながらも、一歩、また一歩と母なる地球を目指しました。
ラストショット:父へのまなざし
2010年6月13日。
はやぶさはついに地球の軌道へと戻ってきました。
大気圏突入を目前に控え、管制チームははやぶさに最後の命令を送ります。
自分を育ててくれた地球を、撮ってごらん
はやぶさは、残された最後の力でカメラを地球に向けました。
しかし、すでに機体は制御不能になりつつあり、送られてきた画像は下半分が真っ黒に塗りつぶされていました。
それでも、そこには青く輝く地球の輪郭が、涙が出るほど美しく写っていました。
はやぶさが最後に見た、美しき故郷。
それが、彼が見た最後の景色となりました。
燃え尽きた英雄と、届けられた宝物
午後11時すぎ。
はやぶさは、サンプルを納めたカプセルを優しく切り離すと、自らは大気圏へと突入しました。
耐熱シールドを持たない本体は、摩擦熱によって激しく燃え上がります。
オーストラリアの夜空で、はやぶさは長い尾を引く大火球となりました。
それは、役目を終えた探査機が、最後の最後に見せた誇りの輝きでした。
自らは燃え尽き、灰になりながらも、はやぶさはその腕に抱いた大切なカプセルを、母なる地球の懐へと届けたのです。
翌朝、砂漠の中で静かに佇むカプセルが発見されました。
そこには、数億年の時を超えたイトカワの砂が、確かに収められていました。

筆者のひとりごと
「はやぶさ」のニュースを当時リアルタイムで見ていた時、なぜ機械の最期にこれほどまで心が震えるのか不思議でした。
でも今ならわかります。
それは、はやぶさが機械ではなく、困難に立ち向かう私たちの意志そのものだったからではないでしょうか。
どんなにボロボロになっても、途中で動けなくなっても、誰かが信じてくれている限り、道は繋がっている。
はやぶさが教えてくれたのは、科学の進歩だけでなく、人を信じ、可能性を信じ抜くことの尊さだった気がします。
宇宙に消えたあの輝きは、今も私たちの心の中で、静かに燃え続けています。

