
1999年の「人類滅亡説」が、日本でも社会現象になりました。
ノストラダムスの予言ですが、実は彼の予言『諸世紀』は西暦3797年まで続くと彼自身の言葉で記されています。
1999年を過ぎた今でも、多くの解釈者たちが現代の出来事と結びつけて注目しています。
なぜ彼の予言はこれほどまでに人々を惑わせたのか?その正体は、驚くほど「いい加減」で「曖昧」なトリックにありました。
1. ノストラダムスの予言の仕組み
彼の詩、著書『諸世紀』は中世フランス語、ラテン語、ギリシャ語を混ぜ合わせた造語のオンパレード、そもそも「何語」ですらない、 難解な四行詩です。
例えるなら、「青い鳥が西の塔で泣くとき、鉄の獣が火を噴く」といった具合です。
「青い鳥」は飛行機?それともSNSのロゴ?
「西の塔」はニューヨーク?それとも西新宿のビル?
2. 出版著者の「都合の良い道具」に使われた
このように、どうとでも取れる表現だからこそ、何かが起きた後に「これはあの事件のことだ!」と後付けでこじつけることが可能なのです。
さらに、検閲を逃れるためという名目で、文法を無視したり、比喩を多用したりしています。
そのため、「何かが起きた後に、それに当てはまる詩を探す」という手法が一般的で、人によって解釈が180度変わることもあります。
3. 「数打ちゃ当たる」の的中率
ノストラダムスは1000近い四行詩を残しています。
これだけ大量に、しかも曖昧な内容を書いていれば、数百年間の人類の歴史の中でどれか一つくらい似たような出来事が起きるのは当然です。
これは心理学でいう「バーナム効果(誰にでも当てはまる情報を自分専用だと信じ込む現象)」に近いものがあります。
4. 外れた予言は「解釈ミス」で片付けられる
1999年の予言が外れた際、信奉者たちはこう言いました。
「神が人類を許したから回避されたのだ」
「1999年というのは、別の暦の計算では20XX年のことだ」
「予言が外れた」のではなく「解釈が違っただけ」と言い張れるのが、この予言の最大の「いい加減」なポイントです。
逃げ道が完璧に用意されているのです。

予言は「エンタメ」として楽しむのが正解
ノストラダムスの予言は、歴史のミステリーやパズルとして楽しむ分には面白いエンターテインメントです。
しかし、そこに科学的な根拠や未来の地図を求めるのは、雲の形を見て「あれは龍の形だから不吉だ」と騒ぐのと変わりません。
未来を作るのは予言ではなく、私たちの行動。
1999年を無事に越えた私たちは、もう「いい加減な言葉」に振り回される必要はないのです。
青年期と医師としての活動
1503年にプロヴァンスで生まれた彼は、モンペリエ大学で医学を学びました。
当時猛威を振るっていたペストの治療に尽力し、独自の衛生療法で多くの人々を救ったことから名声を獲得します。
しかし、私生活では最初の妻と子供をペストで失うという悲劇に見舞われ、数年間にわたり放浪の旅を続けました。
予言者への転身と全盛期
1547年にサロン=ド=プロヴァンスで再婚し、生活が安定すると、彼は占星術や神秘学に深く傾倒し始めます。
1555年: 代表作である四行詩集『予言集』(諸世紀)を出版。
王室との関わり: 王妃カトリーヌ・ド・メディシスに招かれ、国王アンリ2世やその子供たちの運命を占いました。
晩年: 国王シャルル9世の「常任侍医兼顧問」に任命されるなど、社会的地位を確立しました。
晩年と死
【ミシェル・ド・ノストラダム(Michel de Nostredame)の生涯】
16世紀フランスの医師・占星術師であるミシェル・ノストラダムスの生涯は、医学と神秘主義が交差する波乱に満ちたものでした。
1503年12月14日に生まれ、1566年7月2日に62歳で亡くなりました。
晩年は重い痛風や水腫に苦しんでいたと言われています。
彼は息子セザールへの手紙の中で、自分の予言は非常に長い期間(3797年までのスパン )をカバーしていると明言しています。
1566年7月2日の夜、弟子に「夜明けに私が生きているのを見ることはないだろう」と..
自らの死を予言し言葉通り翌朝に息を引き取ったと伝えられています。
痛風と浮腫(水腫)の合併症による、闘病の末の自然死でした。

筆者のひとりごと
西暦3797年まで迷惑な予言をしていたなんて、本当にいい加減にしてほしいです。
でもこの方の予言が外れたことによって、予言自体の信憑性がかなり薄れたものになったのではないかと、思っています。


