【日航機墜落事故】稲川淳二が直前で回避した「123便の奇跡」運命を分けた虫の知らせの真相 

1985年8月12日、日本の航空史上最悪の惨劇となった日本航空123便墜落事故。

乗員乗客524名のうち、生存者はわずか4名。

あまりにも深く、重い爪痕つめあとを刻んだこの事故の裏には、奇跡的あるいは運命の悪戯としか言いようのない生と死の分岐点が存在していました。

怪談テラーとして知られる稲川淳二氏

霊や怪異を語り続けてきた彼自身の人生において、最もドラマチックで、背筋が凍るような奇跡の回避劇があったことをご存じでしょうか。

これはオカルトじみた怪談ではありません。

当時の現場で実際に起きた些細な狂い、違和感、そして言葉にできない感覚の連続が、一人の男の命をすくい上げた不可思議な実話の記録です。

運命の8月12日、真夏のテレビスタジオにて

あの日、日本中が翌日からの旧盆休みを控え、どこか浮き足立った空気に包まれていました。

羽田空港から大阪へと向かう航空各便は、帰省客やビジネス客で満席。

当然、夕方に羽田を飛び立つ日航123便もキャンセル待ちが出るほどの混雑ぶりでした。

その頃、稲川氏は東京・日本テレビのスタジオで番組収録に臨んでいました。

この日の予定では、東京での撮影が終わり次第、羽田空港へ急行し、例の123便に乗り込んで大阪へ移動することになっていました。 

大阪で翌日から始まる番組への出演が控えていたためです。

手配されていたチケットは、日本航空123便。

予定通りにいけば、稲川氏は夕刻の羽田からそのジャンボジェット機に乗り込み、夕闇の空へと飛び立つはずでした。

ところが、現場の空気はどこかいつもと違っていました。

体をむしばむ異様な倦怠感けんたいかんと、スタジオの異変

朝から、稲川氏の身体には正体不明の不調がまとわりついていました。

風邪のような熱っぽさとも違う、どこか鉛を飲み込んだような重さ。

集中しようとしても、ふとした瞬間に意識が遠のくような感覚。

スタジオの照明が普段よりも異様に眩しく、肌に刺さるように感じられたといいます。

どうもおかしい。体が動かないーー

普段ならば多少の体調不良でもプロとして軽妙なトークを披露する彼が、あからさまに辛そうな表情を浮かべていました。

さらに、現場の進行にも微細な狂いが生じ始めます。

テレビの生放送やスタジオ収録は分刻みで進行するのが常ですが、なぜか細かなトラブルや打ち合わせの遅れが重なり、収録の終了予定時刻がじわじわと後退していったのです。

マネージャーやスタッフは焦りを募らせていました。

今すぐスタジオを出なければ、羽田空港発の123便への搭乗手続きに間に合わなくなる可能性が出てきたからです。

「新幹線で行こう」――直感の一言が分けた運命

スタジオの時計の針が刻一刻とタイムリミットに近づいていきます。

マネージャーが声をかけました。

稲川さん、急げばまだ羽田の飛行機に間に合います。

車を回しましょうか?

通常のビジネス判断であれば、迷わず車に飛び乗り、空港へ急ぐところでした。

翌朝の仕事に万全の態勢で備えるためにも、少しでも早く大阪に入って体を休めるのが合理的だったからです。

しかし、その瞬間、稲川氏の口から出たのはスタッフの予想を裏切る言葉でした。

いや、やめよう。

なんだか今日は体がどうしても言うことを聞かないんだ。

あの飛行機はキャンセルしてくれ。

明日新幹線で行こう。

急いで車を飛ばし、混雑する空港内を走り抜けて飛行機に滑り込む。

普段なら当たり前にこなしていた移動のプレッシャーに対し、この時ばかりは本能的な拒絶反応が起きていました。

どうしてもあの機体に乗ってはいけない、という明確な声が聞こえたわけではありません。

ただ、理屈を超えた強烈な抵抗感ていこうかんと疲労感が、彼に羽田行きを断念させたのです。

予約されていた日航123便の座席は、直前でキャンセルされました。

そして稲川氏一行は、翌日東京駅へと進路を変更し、新幹線にて大阪へ向かうことになりました。

自分が乗る予定だった日航123便 墜落の速報が流れ…

『羽田発大阪行きの日航123便が、レーダーから機影を消失』

最初は機器の故障か、緊急着陸の可能性が報じられていました。

しかし、時間が経つにつれて事態の深刻さが明らかになっていきます。

群馬県の山中に墜落したらしいという情報、炎上する山林、途絶えた交信。

稲川氏は凍りつきました。

自分が今まさに乗っているはずだった機体。

わずか数十分前、スタジオでキャンセルを申し出たあの座席が、山中へと墜落していったのです。

もし、スタジオの進行が数分早かったら。 

もし、無理をしてでも飛行機で行こうと意地を張っていたら。 

もし、マネージャーの問いかけに頷いて羽田へ走っていたら。

自分は今、この新幹線のシートには座っていなかった。

その冷酷な事実が、現実感を伴って胸に突き刺さりました。

虫の知らせか、運命の引き戻し力か

人は誰しも、人生の中で何度か「間一髪」の選択を経験します。

しかし、何百人もの命が一瞬にして奪われた未曾有の大惨事の現場から、これほど紙一重の差で引き離された例は極めて稀です。

このエピソードは、単なるラッキーな偶然として片付けるには、あまりにもピースが揃いすぎています。

  • 原因不明の急激な体調の異変
  • 普段はあり得ないスタジオスケジュールの微妙な遅延
  • 合理性よりも直感を優先させた突発的なキャンセル判断

これらは、心理学で言うところの無意識の危険察知だったのでしょうか。

あるいは、古くから語られる「虫の知らせ」という防衛本能が働いたのでしょうか。

不思議なことに、後に多くの怪異を語り、目に見えない世界の案内人となる稲川氏ですが、この墜落事故の件については、決してセンセーショナルに脚色して語ることはありません。

多くの尊い命が失われた現場に対して深い哀悼の念を抱き続け、自身が生かされたことの重みを静かに受け止めているからです。

運命とは、時に残酷なほど一本の細い糸によって編まれています。

あの日、彼を現世に引き留めたものは、科学では解明できない「何か」だったのかもしれません。

筆者のひとりごと

怪談を語る稲川淳二さんの口調はどこか優しく、どこか哀愁を帯びています。

それはもしかすると、ご自身がこれほど巨大な死の淵を覗き込み、偶然生かされた側としての記憶を魂のどこかに刻み込んでいるからではないかと感じることがあります。

人生の選択肢は、常に大きな岐路として現れるわけではありません。 

なんとなくダルいから、なんとなく予定を変えたという、日常の些細な気まぐれが、実は生死の境界線になっていることがある。

私たちが今こうして無事に日常を過ごせているのも、もしかしたら過去に無数の見えない危機を、無自覚な気まぐれによってすり抜けてきた結果なのかもしれません。

そう考えると、自分の直感が告げる小さな違和感には、もっと耳を傾けるべきなのかもしれないですね。

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