
荒れ狂う大西洋の真ん中で、もしもあなたが無人の船を見つけたとしたら——。
しかも、その船には争った形跡もなければ、食料も水も豊富に残されており、ついさっきまで人が生活していた温もりすら残っていたとしたら……。
今回は、海洋ミステリーの代名詞であり、航海史上で最も有名な未解決事件メアリー・セレスト号事件をご紹介します。
乗組員たちは一体どこへ消えたのか?
なぜ彼らは安全な船を捨てなければならなかったのか?
150年以上が経過した今もなお、人々を魅了してやまない不気味な航海記の深淵へご案内します。
事件の幕開け:大西洋上に浮かぶ幽霊船
1872年12月4日、ポルトガルとアゾレス諸島の中間付近の大西洋上。
イギリスの商船デイ・グラチア号のモアハウス船長は、前方をおかしな動きで漂流する一隻の帆船を発見しました。
その船の名はメアリー・セレスト号。
連絡を試みても応答がなく、風に流されるまま揺れる船体。
不審に思ったモアハウス船長は、一等航海士ら数名をボートで調査に向かわせました。
乗組員たちがメアリー・セレスト号の甲板に足を踏み入れた瞬間、そこに広がっていたのは、静寂と異様な光景でした。
船内には、誰一人として人間がいなかったのです。

乗組員は、経験豊富なベンジャミン・ブリッグズ船長とその妻、幼い娘、そして信頼できる7人の船員を合わせた計10名。
彼らは跡形もなく、まるで煙のように消せ去られていました。
現場に残された不可解すぎる5つの謎
船内を捜索した調査隊は、事件の不気味さを際立たせる数々の痕跡を目にすることになります。
1. 荒らされていない船内と豊富な物資
船内は荒らされた形跡がなく、海賊の襲撃を示すような戦闘の痕跡や血痕も一切ありませんでした。
さらに、半年分以上の食料と新鮮な水が手つかずで残されていたのです。
2. 残された貴重品
船長室や船員室には、現金や貴金属などの貴重品がそのまま残されていました。
もし海賊や略奪者の仕業であれば、これらが手つかずで残されているのは明らかに不自然です。
3. 救命ボートの消失
船内に唯一なかった重大なものが救命ボートでした。
また、船長の航海日誌や六分儀などの航海器具も消えていました。
このことから、乗組員たちは自らの意思で救命ボートに乗り移り、船を捨てたという事実が浮き彫りになります。
4. 唐突に途絶えた航海日誌
最後の航海日誌の記録は、発見される9日前の11月25日午前8時。
そこにはアゾレス諸島の聖マリア島が見えたというごく普通の報告が書かれているだけでした。
その後9日間の間に、彼らをパニックに陥れる何かが発生したことになります。
5. 奇怪な貨物アルコール樽
メアリー・セレスト号は、工業用アルコール1701樽を積み込んでニューヨークを出港していました。
後に引き揚げられた際、このうち9樽が空になっていたことが判明します。

ささやかれる数々の説:海獣から集団パニックまで
誰もいない船、残された物資、消えた10人。この異常な状況に対し、これまで無数の仮説が唱えられてきました。
- 怪獣(クラーケン)襲撃説 巨大なタコやイカなどの海洋生物(クラーケン)に船が襲われ、甲板にいた人間が海に引きずり込まれたとする説。ロマンはありますが、船体に巨大生物の爪痕や破壊孔が全くなかったため、現代では否定的に見られています。
- 海賊・暴動説 船員たちが暴動を起こして船長一家を殺害し逃亡した、あるいは海賊に襲われたとする説。しかし、貴重品や食料が残されていたこと、血痕がないことから矛盾が生じます。
- 空間の歪み・異次元神隠し説 バミューダトライアングルに代表されるような、超自然的な力によって人間だけが一瞬で別の空間へ連れ去られたとする都市伝説的な説。
現在、最も有力とされる科学的真相
オカルト的な説が飛び交う一方で、近年の研究者や海洋史家たちの間では、アルコール蒸気によるパニック説が最も有力視されています。
積まれていた1701樽の工業用アルコール。
粗悪な木樽から漏れ出たアルコールガスが船倉に充満し、小さな火花や摩擦によって爆発または爆風を起こしたのではないか、という考察です。
- 爆発の恐怖:アルコールガスが爆発した際、大きな音と炎が上がった。
- 船長の決断:船が爆発炎上すると恐れたブリッグズ船長は、一時避難として全員を救命ボートに乗せ、ロープでメアリー・セレスト号の後ろに繋いだ。
- ロープの切断:風が強まり、メアリー・セレスト号が予想以上のスピードで進み始めたことで、船とボートを繋いでいたロープが切れてしまった。
取り残された救命ボートは荒波に飲まれ、10人は大西洋の露と消えた——。
これなら、船体が傷ついておらず、食料が残り、9樽のアルコールが空だった理由にも綺麗に説明がつきます。
時代を超えて漂流し続ける謎
科学的なアプローチによってアルコールガスのパニックという説が濃厚にはなったものの、命命を落とした10人の口から真相が語られることは永久にありません。
船長はなぜ、あれほど慎重な性格でありながら、すぐさま船を捨てるという極端な決断をしたのか? 救命ボートを繋ぐロープは本当に切れただけなのか?
メアリー・セレスト号はその後、別の所有者たちの手を渡り歩きましたが、呪われた船として不吉がられ、最終的に海岸へ座礁させられてその生涯を閉じました。
誰もいない甲板に吹き抜ける海風だけが、あの日に起きた真実を知っています。

筆者のひとりごと
メアリー・セレスト号の事件って、調べれば調べるほど人間が一番怖い思いをした瞬間を想像させられてゾクゾクするんですよね。
爆発の危機から逃げるためにボートに乗り移ったものの、本船がぐんぐん離れていってしまう絶望感……
考えただけでも生きた心地がしません。
科学的な説明を聞けば、なるほどと思う反面、海の底には私たちがまだ知らない怪異や未確認の現象が潜んでいてほしいな、なんてオカルト好きの心が呟いてしまうテーマでもあります。
夜の海を眺める機会があったら、波の音の向こうに消えた10人の声を探してみてくださいね。


