
東京都小笠原村。
南鳥島を除けば日本最南端に位置するその島は、美しき群青の海に囲まれながらも、常に不穏な地熱を帯びています。
小笠原諸島最大の面積を誇る硫黄島。
その名の通り、島内の至る所から二酸化硫黄を含む火山性ガスが噴出し、大地は常に呼吸を続けています。
しかし、この島が持つ真の重圧は、その火山活動だけではありません。
ここは、かつて太平洋戦争において、日米双方が凄惨な地上戦を繰り広げた「祈りの地」でもあります。
栗林忠道中将が最期に見た景色
硫黄島の戦いにおいて、日本軍の指揮を執ったのは栗林忠道中将でした。
水も食料もない極限状態の中、地下に張り巡らされた複雑な洞窟陣地を駆使し、圧倒的な物量を誇る米軍を相手に驚異的な粘りを見せたその知略は、今なお世界の戦史に深く刻まれています。
後に、天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)がこの地を訪問され、慰霊碑や「鎮魂の丘」に深く拝礼されたことは、この島が日本という国家にとってどれほど重い意味を持つ場所であるかを象徴しています。
語り継がれる「自衛官の怪異」
現在、一般人の立ち入りが厳しく制限されているこの島には、航空自衛隊と海上自衛隊の基地が置かれています。
しかし、ここで勤務する隊員たちの間では、あまりにも生々しい「不可解な出来事」が日常的に囁かれているのをご存知でしょうか。
「あまりの心霊現象の多発に、夜間の訓練を極端に恐れる隊員や、精神的に追い詰められノイローゼになる者が後を絶たない」
そんな噂が単なる都市伝説で終わらないほど、硫黄島には「何か」が色濃く残っているのです。

「砂」の一粒さえ、持ち帰ることは許されない
硫黄島を離れる際、隊員には厳しい掟が課せられます。
それは、島の動植物や「砂」の一粒さえも本土へ持ち出してはならない、というものです。
表向きは外来種の侵入や病原菌を防ぐ「防疫」が理由ですが、真の理由は別のところにあります。
この島の砂には、今もなお収容しきれていない数多の戦死者の人骨が混じっているのです。
かつて、ある隊員が「記念に」と島の石を持ち帰ったといいます。
その後、彼は次第に言動に異常をきたし、ついには行方不明となりました。
数ヶ月後、彼が発見されたのは、立ち入りが困難なはずの島内の洞窟。
変わり果てた姿で横たわっていたそうです。
夜、枕元に置く「一杯の水」
硫黄島に勤務する者の間で、暗黙の了解となっている儀式があります。
それは、「寝る前に、水の入ったコップを部屋の入り口に供える」ことです。
硫黄島には川がありません。
当時、兵士たちは文字通り、乾きに身を焼きながら戦い、死んでいきました。
米軍の火炎放射器によって地下陣地で焼かれ、最期に「水、水をくれ……」と呻きながら事切れた人々。
ある夜、水を供えるのを忘れて寝てしまった。
すると、ドアの向こうから、地を這うような低い声で『水を……水を……』という呻き声が朝まで止まなかった。
そんな体験談は枚挙にいとまがありません。
静寂を祈る
硫黄島は、単なる歴史の舞台ではありません。
今もなお、2万柱を超える日本兵の半数以上が、その遺骨を土中に残したまま眠っています。
火山ガスが噴き出す熱い大地の下で、彼らは今も故郷を想い、一杯の水を求めているのかもしれません。
我々が享受しているこの平和な日常の礎には、こうした語り尽くせぬ悲痛な記憶が刻まれた島がある。
その事実に目を背けず、静かに祈りを捧げることこそが、現代を生きる我々に課せられた真の「教養」と言えるのではないでしょうか。

筆者のひとりごと
硫黄島について調べるほど、そこが「現世」と「あわい」の境界にある場所だと痛感します。
硫黄の匂いと地熱に包まれたあの島では、今も時計の針が止まったまま、多くの英霊が彷徨っているのかもしれません。
歴史を学ぶことは、光だけでなく、目を背けたくなるような深い影を知ることでもあります。
今夜は、彼らが喉から手が出るほど欲した一杯の水を、当たり前に飲める日常の幸せを、静かに噛み締めたいと思います。


