
日常と非日常の境界線は、私たちが信じているほど強固なものではないのかもしれない。
それは、仕事帰りの疲労に身を任せ、何気なく立ち寄った近所の公園での出来事でした。
街の喧騒を背に、古びたブランコに揺られていると、唐突に周囲の音が真空に吸い込まれるように消え去り、鼻を突くような濃密な潮の香りが漂ってきたのです。
海など、どこにもないはずの街の真ん中で。
ふと顔を上げると、朧げな街灯の下に、一人の男が立っていました。
その瞬間、心臓が凍りつきました。
そこにいたのは、3年前に不慮の事故でこの世を去ったはずの、かつての親友だったからです。
鏡合わせの運命。逆転していた「生と死」
幻覚を見ているのだと思いました。
しかし、彼は驚愕する私を見て、生前と変わらぬぶっきらぼうな口調で、信じがたい言葉を放ったのです。
何だよ、化けて出たのか?
お前の葬式、あんなに泣いて損したわ
その一言で、理解が追いつきました。
ここは、私の知る世界ではない。
この鏡合わせのパラレルワールドでは、「あの事故で命を落としたのは私」であり、彼は死の淵を逃れ、そのままの時間を生き続けていたのです。
私たちの運命は、ある一点の分岐路で無慈悲に入れ替わっていた。
街灯に照らされた彼の影は、私の世界の記憶をあざ笑うかのように、濃く、確かな輪郭を持ってそこに存在していました。
触れられぬ境界線。数分間の「IF」という贅沢
彼と過ごしたわずかな時間は、まるで深海で夢を見ているようでした。
近況を話し、積もる想いを伝えようとしても、喉の奥が石のように固まり、声になりません。
彼が生きている。
その事実だけで、世界の整合性が崩れていくような強烈な違和感と、形容しがたい安堵感が胸を締め付けます。
やがて、彼が「飲みなよ」と差し出した一本の缶コーヒー。
その冷たさを感じようと、私の指が彼の指先に触れようとしたその瞬間 視界が激しく歪み、世界が色彩を失って高速で回転を始めました。
強烈な眩暈から覚めたとき、私は元の公園のブランコに座っていました。
鼻をついていた潮の香りは消え、あたりはいつもの排気ガスと湿った土の匂いに戻り、彼の姿はどこにもありませんでした。

現実へ持ち越された「存在しない証明」
「あまりの疲れが見せた、白昼夢だったのかもしれない」
そう自分に言い聞かせ、重い腰を上げようとしたときでした。
足元に、カランと一本の缶コーヒーが転がっていることに気づきました。
それを拾い上げた瞬間、全身の血が引いていくのを感じました。
その缶には、見たこともないメーカーのロゴが刻まれていました。
そして、何よりも決定的な証拠がそこにありました。
賞味期限の欄に印字されていたのは、私たちの世界線ではまだ訪れていない、そして存在し得ないはずの「令和12年」の数字。
それは、あの刹那の再会が、単なる脳が見せた幻覚ではないことを証明する、異界からの「落とし物」だったのです。
もう一つの日常に思いを馳せて
もし、あの時。
彼の手を離さずに、あっちの世界に踏みとどまっていたら。
今でも時折、不意に潮の香りが鼻を掠めるたびに、私は想像せずにはいられません。
彼が生き、私がいない「もう一つの日常」の景色を。
私たちの人生は、無数の「選択肢」という糸で編み上げられた繊細なタペストリーのようなものです。
今、あなたが握っているその缶コーヒーが、明日も同じメーカーのものであるという保証は、実はどこにもないのかもしれません。

筆者のひとりごと
この物語は、以前ある取材でお聞きした実話ベースのエピソードですが、あまりに鮮烈であったため、ここに記しました。
睡眠中、私たちの魂はあの世とこの世、あるいは無数の並行世界を行き来していると説く人々がいます。
亡き親友の念が、時空の揺らぎに乗って、現象として現れたのかもしれません。
私自身、枕元に「夢ノート」を置いていますが、記録された夢の断片が、いつか現実を浸食し始めるのではないかという、甘美な恐怖を抱いています。


