
世間では若い頃は尖っていた人も、年をとれば丸くなるなんて美談が語られがちです。
しかし、実際に年齢を重ねた自分や周囲を見て、こう思いませんか?
これ、丸くなったんじゃなくて、ただ気力がなくなっただけじゃないか?
今日は、そんな老いと性格の変化に関する綺麗事抜きの本音を書きたいと思います。
「丸くなった」の正体は「エネルギー切れ」
若い頃に怒ったり、こだわりを突き通したりできたのは、それだけエネルギーがあった証拠です。
怒るのにも体力がいる
相手に反論し、納得させるプロセスは疲れる。
こだわると時間がかかる
自分の美学を貫くには、緻密な作業と集中力が必要。
年をとってそれらが消えた時、人はそれを丸くなったと呼びますが、実態は戦う気力がなくなった(無気力)に近いのかもしれません。
「寛容」ではなく「だらしなさ」への変化
細かいことを気にしなくなったと言えば聞こえはいいですが、一歩間違えればそれはだらしなさです。
身なりを整えるのが面倒になる。
マナーやルールを守るのが億劫になる。
まあ、これでいいかという妥協が生活のすべてを支配する。
これは精神的な成長というより、自分を律する力が弱まった結果ではないでしょうか。

無気力がもたらす「偽りの平和」
争いがなくなるのは、お互いを理解し合えたからではなく、どうでもよくなったから。
この無気力から来る静けさを円熟と呼ぶのは、少し皮肉な気がします。
牙が抜けたのではなく、牙を剥くこと自体を忘れてしまった状態。
それを美徳として受け入れていいのか、私たちは一度考えるべきです。
まとめ
年をとって丸くなるという言葉は、衰えゆく私たちを慰めるための優しい嘘なのかもしれません。
だらしなく、無気力になっていく自分を丸くなったという言葉で正当化せず、抗うのか、それとも受け入れるのか。
老いという現実を直視した時、初めて見えてくる景色があるはずです。

筆者の私見
年をとれば丸くなるという言葉に、淡い期待を抱いていた時期もありました。
でも現実はどうでしょう。
頑固さに磨きがかかったり、図々しさが板についたり。
結局、加齢で丸くなるのではなく、エネルギーが減って尖る元気がなくなっだけか、あるいは自分に素直になりすぎた結果なのかもしれません。
性格の角が取れるのを待つより、今のトガった自分とどう折り合いをつけるか。
そんな、ちょっと皮肉な大人の独り言です。


