
誰もが一度は口ずさんだことがある童謡「通りゃんせ」。
しかし、そのメロディを思い浮かべると、どこか不気味な寒気を感じたことはありませんか?
実はこの歌には、教科書には絶対に載せられない「残酷な真実」が隠されているという説があります。
今回は、ネットや歴史愛好家の間で囁かれる3つの裏話を深掘りします。
「行きはよいよい、帰りは怖い」の正体
歌詞の中で最も不気味なフレーズ。
これには「口減らし(人減らし)」の背景があると言われています。
行きはよいよい: 子供を連れて山や神社へ向かう(まだ生きている)。
帰りは怖い: 子供を置き去りにし、一人で帰る(良心の呵責、あるいは人買いの視線が怖い)。
生活が苦しかった時代、7歳になった子供を「神様に返す」という名目で、二度と戻れない場所へ捨てに行った悲しい親の姿が投影されているのかもしれません。
川越城の密偵(スパイ)抹殺説
この歌の舞台とされる埼玉県川越市の三芳野神社。当時は川越城の中にあり、一般人の立ち入りは厳しく制限されていました。
参拝客は厳重な持ち物検査を受け、帰る際には「城内の機密を盗んでいないか」を疑われました。もし不審な点があれば、帰り道で人知れず斬り捨てられたといいます。
まさに「生きては帰れぬ」恐怖の帰り道だったのです。

「七つの子」と生贄の儀式
昔は「7歳までは神のうち」と言われ、子供はいつ死んでもおかしくない不安定な存在でした。
この歌にある「七つのお祝い」とは、単なる七五三の祝いではなく、「神への生贄として選ばれた」ことを意味するという説があります。
神社の門番(検問)を通る許可を得るのは、神に捧げるための「供物」を運んでいるから。
だからこそ「御用のないもの通さぬ」という強い拒絶があるのです。
次にこの歌を聴くときは…
普段何気なく耳にする「通りゃんせ」ですが、その背景には当時の厳しい生活環境や、血塗られた歴史が反映されています。
夕暮れ時にこのメロディが聞こえてきたら、背後を振り返らない方がいいかもしれません。
なぜなら、その道は「帰れない道」かもしれないのですから。

筆者のひとりごと
テレビやネットで この通りゃんせの都市伝説を見聞きする機会がありました。
神隠し、人身御供説や生贄説、口減らし説などと色々解説していましたけど、私はこの歌には、あまり深い意味 はなかったと思っています。


